JADS研究会:EuropeanaとMLA(2)2009-03-15

2009/03/15 當山日出夫

ヨーロッパのデジタル化文化資源の利活用のために、Europeanaなプロジェクトが生まれたことは、先に書いた。で、意識的にせよ、無意識のうちにせよ、Google(アメリカ)に対する対抗という感覚についても、報告があった。

だが、天の邪鬼に思うと、「Europeana」のサイトにたどりつくのに、まず「Google」を使ってしまうのが、普通ではないだろうか。検索エンジンとコンテンツは別、と言ってしまえばそれまでであるが、なんとなく釈然としない。あるいは、そこを割り切って考えるからこそ、Europeanaなが可能になったともいえるが。(現に私も、Europeanaのサイトを探すのに、Googleをつかってしまっている。)

それから、MLA連携の話しでいうと、菅野さんの発表では、二つの軸がある。
・ヨーロッパの各国の国の内部において、M=L=A の連携がすすんでいる。
・国をこえて、MLAの「M」「L」「A」それぞれ、の機関の連携がある。

つまり、図式的に考えれば、縦軸・横軸、それぞれの連携関係がすでにある。ゆえに、Europeana全体として、連携が可能になる。

そして、それぞれのMLAで制作されたコンテンツの精度は、だれがどのように保証するのか。それにかかわるのが、Europeanaなの仕事。菅野さんの発表では、Aggregation という語に集約されていたように思う。

言い換えるならば、Europeanaの仕事が、Aggregation で済む、およそ、数十名の少ないスタッフで運営できている、この背景にあるのは、すでにMLAの相互の連携と、コンテンツの品質についての保証、メタデータについての考え方、これらについて、ある程度の合意が形成されているから、といえようか。

ただ、コンテンツ制作には、かなり日本の企業(凸版印刷や大日本印刷など)が関わっていることは、確かなこと。では、なぜ、これらの企業の技術が日本国内で発揮されないのか、そして、連携に結びつかないのか、問題の解決はそう簡単ではないように思える。

當山日出夫(とうやまひでお)

デジタルヒューマニティーズ・ワークショップ2009-03-15

2009/03/15 當山日出夫

ARGのイベントカレンダーにはすでに掲載であるが、ここでは、少し詳しく紹介しておきたい。

2009 デジタルヒューマニティーズ・ワークショップ
2009年3月27日-29日
東京大学文学部次世代人文学開発センター

情報メディアとしてのコンピュータやインターネットの普及により,人文科学においてもデジタル技術の応用が進み,「デジタルヒューマニティーズ (digital humanities)」という学際・複合領域が創成されつつあります。本ワークショップは人文系の研究者や学生を対象として講義と実践演習を行うデジタルヒューマニティーズ入門講座です。ワークショップの講義では,人文科学資料のデジタル化にまつわる諸問題,およびコンピュータを活用したテクスト分析を中心に,具体的な事例を紹介するとともに,その技術や方法論について解説します。一方,ハンズオンセッションでは講義で紹介したツールや技法を用いて,データのコード化,整形や分析,さらにはテクストマイニングを行うなど実践的なトレーニングプログラムを提供します。

講師
A. Charles Muller(東京大学)
Lisa Lena Opas-Hänninen(フィンランド・ オウル大学)
Espen Ore(ノルウェー国立図書館)
永崎 研宣(山口県立大学)
田畑 智司 (大阪大学)

参加申し込みは、また、詳しい案内は、以下のURLから。

http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~dhw2009/

當山日出夫(とうやまひでお)

機関リポジトリの理想を語る2009-03-15

2009/03/15 當山日出夫

松田さんの「松田清のtonsa日記」2009年3月8日
機関リポジトリ
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090308/1236531666

この記事には、すでにコメントを書いた。
このブログの3月11日
デジタルは人文学の衰退か(1)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/03/11/4167990

ただ、これにさらに追加してすこし書いておく。

私の希望を言えば、機関リポジトリであれ、文化資源のデジタル化において画像をともなう場合、どの程度の精度が必要か、議論の必要がある。デジタル化は、
・閲覧を容易にするため
・実物の保存のため
二つの目的がある。デジタル画像で分かる範囲のことは、実物をみなくてもよい、という程度の精度が必要。場合によると、実物を見るより、高精細画像の方が、細部が観察できる場合もある。

しかし、質感などは実物でないとわからない。教育掛図でいえば、実際の大きさ、紙の質、それから、重さ(大きなものになれば、かなりの重量になるはず)など、実物を見てこそ分かる。

機関リポジトリについて、まず、必要なのは、
・出来ることから始める、そして、そのことには賛意をしめす
・現実がどうであれ、理想をきちんとかかげる。学術情報のデジタル化について。
・技術についての基本方針を明確にする。画像データであれば、最低限の解像度、色空間の定義、など。

ということだろう。

「紅」から「かりん」を見て、水野眞理さんの『文系世界の経験から』にはこうある。引用するならば、(p.5)

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さて、このように書いていると、そういうお前の論文はどうなんだ、といわれそうです。そういうときにはこのエピソードを引きましょう。桂米二というベテラン落語家が「[弟子には]自分の理想を教えているが、実際の舞台では私もでけてへん」と恥じたことに答えて、さらにその師匠である桂米朝がこう言っています。「その通りや。えらそうに言うほどできてないとわかってても、教えなあかんことはあるんや」と(朝日新聞2008年9月2日)
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識別子は、
http://hdl.handle.net/2433/68939

機関リポジトリについても、その理想を語るべきときではないかと思う。(たとえ、「予算」という現実がどうであるにせよ。)

當山日出夫(とうやまひでお)

スマッシュの瞬間、ラケットは回転する2009-03-15

2009/03/15 當山日出夫

『接客セブンティーズ』(清水義範)を読んでいて、おもわずわらってしまった。まだ、読んでいない人には気の毒だが、このシリーズ、第1巻から順番に読むべきだ、と思う。なにせ、著者本人が、編集しているのだから。

タイトルの文言「スマッシュの瞬間、ラケットは回転する」は、ちくま文庫版のパスティーシュ100の二の巻、『インパクトの瞬間』とつながる。

で、これが分かるために、ある時期の日本TVのCMを知らないといけない。知っていないことは、笑いようがない。このパスティーシュ100は、このような多重構造の仕掛けがある。

野暮なことを言えば、清水義範の作品が後世に残ったとして、そのときは、まさに『注釈物語』を書かねばならんのだろうなあ・・・日本文学研究者は。

當山日出夫(とうやまひでお)