後世からみる学問とは2009-03-26

2009/03/26 當山日出夫

松田清さんのtonsa日記を読んでいると、面白い。

一番丸のこと 風雅と洋学
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090325/1237988782

この記事のなかの次の指摘は重要、


世の中には、いまだに「蘭学は日本の近代化を準備した」「蘭学者は近代化を導いた先覚者である」など、蘭学についての固定観念あるいはレッテルが根強く残っています。蘭学に限らず、ある時代の知識、学問が終息したあと、それを論ずる際に、その知識、学問の持っていた多様性を無視し、後世の観点から単純に決めつけるのは簡単ですが、そうした態度は学問的態度とはいえません。


とはいえ、時代の全体像をつかむのは、困難。ほんの一昔前のことが分からない。例えば、『明治大正史世相篇』(柳田国男)、『逝きし世の面影』(渡辺京二)。

さて、明日は、京大でセミナー、一番で発表。

當山日出夫(とうやまひでお)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/03/26/4205378/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。