放送100年「放送と戦争」 ― 2025-04-05
2025年4月5日 當山日出夫
放送と戦争
これも、放送100年に関連した番組である。BSP4Kを録画しておいて後から見たのだが、番組HPを探してみたが、みつからない。
番組の制作の意図と反することになるかもしれないが、興味深かったのは、山中恒の言っていたこと。昭和一六年一二月八日の、太平洋戦争のラジオのニュースを聞いて興奮したという話し。こういう話しは、多く残っている。それまでの日中戦争で感じていた閉塞感が、このアメリカとの開戦によって、晴れてなくなり、これから日本の新しい時代が始まるという昂揚感をいだいた……勝っている戦争というものは、その国民に対して、戦意高揚をうながすものである、このことは、普通の人間の生活意識というのはこういうものであるとして、そのまま受けとめておくのがいいと思っている。このような人間の感情に対して、それは、軍部やマスコミにだまされていたのだ、と否定的にとらえると、かえって人間とはどういうものなのか、社会とはどういうものなのか、とうことについて誤った判断になるはずである。
日中戦争のときに、ラジオ放送のために、戦地に職員が出向いて、実況録音をしていた、その音源が残っている。これは、貴重である。放送という技術があるならば、リアルタイムで、戦地からの実況中継をしたくなる。これが、放送にかかわる人間なら誰でも感じるところだろうし、また、それを見たくなる、聞きたくなるのも、普通の人びとの感覚である。これは、現代では、スマホがひとつあれば、戦争の最前線の戦場からのリアルタイムでの中継が可能になっている。思い返せば、ベトナム戦争の時代は、戦場の映像がテレビで流れた時代であった。また、その後の湾岸戦争のときのこともある。バグダッドから、衛星中継で、多国籍軍からの攻撃の様子をレポートした、ピーター・アーネットのことは、この時代、大きく話題になったことだと思うが、現代のマスコミ研究では、どう評価されているのだろうか。
アメリカの統治下にあったときの沖縄の様子を取材していた番組は、もし、できれば再放送してもらいたい。NHKが沖縄を取材するときの、法的な手続きがどうだったのかということも気になるし、無論、その当時の沖縄の様子が、どのように番組として作られていたのか、現代の視点から見ればどうなのか、これは見てみたい。
原爆の被害を、VRで作ってみようというのは、賛否があるにちがいない。その体験の直接の当事者が証言を残すことは、その価値がある。だが、その場合でも、人間の記憶というものは、そんなに信頼できるものではないし、(こういう言い方は適切ではないかもしれないが)作りあげる部分もある。どこが本当に信用できる事実であるのかは、多方面からの史料、資料についての、批判的分析が必要である。だが、広島のことなどについて、その他の戦争にかかわることもそうだが、そういう批判を許さないということであってはならない。批判的検証をふまえて、これだけは本当に信用できるものであるという部分を残しておかないと、後世になって、それは記憶によっているものだからということで、全面否定されかねない。その先にあるのは、真相はどうであるかを度外視した、不毛な泥仕合でしかない。
保阪正康のコメントは、批判したいけれども、NHKがせっかくやったことにケチをつけることもできないので、せいぜい褒めてみた、という印象であった。少なくとも、私にはそう見えた。保阪正康は、歴史の一次史料を渉猟しているし、戦争の時代の人びとも取材している。リアルだとは言ったが、資料として貴重とは言っていなかった。
やはりこの番組を見ても感じることは、戦時中の報道(新聞、ラジオ、ニュース映画など)は、自主規制という部分が強かったはずであるということである。全部が、政府や軍のいいなりであったというわけではなく、忖度して作っていたということであるし、また、国民の側としても、そのような報道のあり方を望んでいたということがある。
『おしん』は、戦争中の人びとの生活感覚を描いたドラマだと思うが、しかし、おしんの夫の竜三が、戦時中の自分の言動に責任を感じて自殺したということについては、いろいろと意見のあるところである。これよりも、むしろ、この前、再放送のあった『カーネーション』の方が、私としてはリアリティを感じる。戦時中は、国防婦人会であった女性が、戦後になって、民主主義の旗手に豹変する。ドラマの中では、ああいう人は言いたいだけなのだから言わせておけばいい、とされていたが、こういうのが普通に生活していた人間については、どちらの側としても、おそらくはまっとうな感覚だったのだろうと、思うところである。
2025年4月2日記
放送と戦争
これも、放送100年に関連した番組である。BSP4Kを録画しておいて後から見たのだが、番組HPを探してみたが、みつからない。
番組の制作の意図と反することになるかもしれないが、興味深かったのは、山中恒の言っていたこと。昭和一六年一二月八日の、太平洋戦争のラジオのニュースを聞いて興奮したという話し。こういう話しは、多く残っている。それまでの日中戦争で感じていた閉塞感が、このアメリカとの開戦によって、晴れてなくなり、これから日本の新しい時代が始まるという昂揚感をいだいた……勝っている戦争というものは、その国民に対して、戦意高揚をうながすものである、このことは、普通の人間の生活意識というのはこういうものであるとして、そのまま受けとめておくのがいいと思っている。このような人間の感情に対して、それは、軍部やマスコミにだまされていたのだ、と否定的にとらえると、かえって人間とはどういうものなのか、社会とはどういうものなのか、とうことについて誤った判断になるはずである。
日中戦争のときに、ラジオ放送のために、戦地に職員が出向いて、実況録音をしていた、その音源が残っている。これは、貴重である。放送という技術があるならば、リアルタイムで、戦地からの実況中継をしたくなる。これが、放送にかかわる人間なら誰でも感じるところだろうし、また、それを見たくなる、聞きたくなるのも、普通の人びとの感覚である。これは、現代では、スマホがひとつあれば、戦争の最前線の戦場からのリアルタイムでの中継が可能になっている。思い返せば、ベトナム戦争の時代は、戦場の映像がテレビで流れた時代であった。また、その後の湾岸戦争のときのこともある。バグダッドから、衛星中継で、多国籍軍からの攻撃の様子をレポートした、ピーター・アーネットのことは、この時代、大きく話題になったことだと思うが、現代のマスコミ研究では、どう評価されているのだろうか。
アメリカの統治下にあったときの沖縄の様子を取材していた番組は、もし、できれば再放送してもらいたい。NHKが沖縄を取材するときの、法的な手続きがどうだったのかということも気になるし、無論、その当時の沖縄の様子が、どのように番組として作られていたのか、現代の視点から見ればどうなのか、これは見てみたい。
原爆の被害を、VRで作ってみようというのは、賛否があるにちがいない。その体験の直接の当事者が証言を残すことは、その価値がある。だが、その場合でも、人間の記憶というものは、そんなに信頼できるものではないし、(こういう言い方は適切ではないかもしれないが)作りあげる部分もある。どこが本当に信用できる事実であるのかは、多方面からの史料、資料についての、批判的分析が必要である。だが、広島のことなどについて、その他の戦争にかかわることもそうだが、そういう批判を許さないということであってはならない。批判的検証をふまえて、これだけは本当に信用できるものであるという部分を残しておかないと、後世になって、それは記憶によっているものだからということで、全面否定されかねない。その先にあるのは、真相はどうであるかを度外視した、不毛な泥仕合でしかない。
保阪正康のコメントは、批判したいけれども、NHKがせっかくやったことにケチをつけることもできないので、せいぜい褒めてみた、という印象であった。少なくとも、私にはそう見えた。保阪正康は、歴史の一次史料を渉猟しているし、戦争の時代の人びとも取材している。リアルだとは言ったが、資料として貴重とは言っていなかった。
やはりこの番組を見ても感じることは、戦時中の報道(新聞、ラジオ、ニュース映画など)は、自主規制という部分が強かったはずであるということである。全部が、政府や軍のいいなりであったというわけではなく、忖度して作っていたということであるし、また、国民の側としても、そのような報道のあり方を望んでいたということがある。
『おしん』は、戦争中の人びとの生活感覚を描いたドラマだと思うが、しかし、おしんの夫の竜三が、戦時中の自分の言動に責任を感じて自殺したということについては、いろいろと意見のあるところである。これよりも、むしろ、この前、再放送のあった『カーネーション』の方が、私としてはリアリティを感じる。戦時中は、国防婦人会であった女性が、戦後になって、民主主義の旗手に豹変する。ドラマの中では、ああいう人は言いたいだけなのだから言わせておけばいい、とされていたが、こういうのが普通に生活していた人間については、どちらの側としても、おそらくはまっとうな感覚だったのだろうと、思うところである。
2025年4月2日記
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