『とめられなかった戦争』加藤陽子(その二)2017-03-11

2017-03-11 當山日出夫

加藤陽子.『とめられなかった戦争』(文春文庫).文藝春秋.2017 (NHK出版.2011)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167908003

やまもも書斎記 2017年3月10日
『とめられなかった戦争』加藤陽子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/10/8398878

つづきである。

著者(加藤陽子)の史料を読む感性に関心するところがある。たとえば、次のような箇所。第2章「日米開戦 決断と記憶」の冒頭、東条英機が陸軍航空士官学校を視察したときのエピソード。

東条英機が、「敵機は何で墜とすか」と質問したのに対して、生徒が機関砲でと答えた。それを東条は訂正して、「違う。敵機は精神力で墜とすのである。」と言った話し。

東条英機の精神主義を象徴するエピソードとして、よく歴史書、戦記などに引用、言及されるものである。このエピソードについて、著者(加藤陽子)は、このように述べている。

以下、引用する。

「しかし、この発言がなされた時期にも留意する必要があります。四四年五月といえば、すでに日本の敗色が農耕になっていた時期。」(pp.59-60)

として、具体的に状況を説明した後、

「そのような時期に発せられたこの言葉の背景には、どうしようもない彼我の戦闘力の差、つまりは国力の差に対するはっきりとした認識があり、そのような絶望的な状況を覆すにはもはや精神力に頼るしかないという、ある意味で悲鳴のような響きも感じ取れるのです。」(p.60)

このような箇所、史料に「ことば」として表現されているものの背景に何を読みとるか、どのような歴史的状況のなかでの「ことば」であるのかを理解しようとするか……これは、歴史家にとって、きわめて重要な資質である、と私は思う。

著者(加藤陽子)の専門は日本近代史であるが、もし、文学研究をやっていたら、あるいは、哲学の領域で思想史などをやっていたら、それはそれで、きわめてすぐれた研究者として仕事をすることになっただろうと、予想してもいいのではないだろうか。

最近、そのような加藤陽子の名前を見て、ちょっと驚いたことがある。それは、『「死の棘」日記』(島尾敏雄、新潮文庫)の解説を、加藤陽子が書いていることである。これは、加藤陽子に文学研究、史料(資料)読解のすぐれた資質をみこんだ、文庫編集部の慧眼というべきであろう。

この『「死の棘」日記』については、後ほど。

28回「東洋学へのコンピュータ利用」でいいたかったこと2017-03-12

2017-03-12 當山日出夫

3月10日は、京都大学人文科学研究所で、第28回「東洋学へのコンピュータ利用」。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2017.html

私の話しは、最初。
「JIS仮名とUnicode仮名について」

これは、去年の表記研究会(関西大学)で、「JIS仮名とユニコード仮名」というタイトルで話をしたものに、再整理して、テーマを、仮名のコード化ということにしぼって、さらに、用例・実例などを、追加したもの。表記研究会では、主に、日本語学研究者を相手だった、今回は、うってかわって、コンピュータや文字コードの専門家があつまる会。

話しの内容の基本は、私の書いているもう一つのブログ「明窓浄机」で書いたことである。

明窓浄机
http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/

基本的な主な内容は、すでにここに書いてこと。それに対して、今回特に付け加えて言ったこととしては、ちょっとだけ、最後の方に追加したことがある。それは……翻刻とはどういう行為であるのか、そして、翻刻と文字コードとはどう考えればよいのか、ということ。

今回の研究会、最後の発表が、

永崎研宣(人文情報学研究所)
Webで画像を見ながら翻刻をするためのいくつかの試み

この発表の趣旨は、主に、IIIFによる、画像データの処理。これはこれで、非常に興味深いことなのだが、その先の具体的な話しになると、「翻刻」「翻字」「釈文」というのは、いったい何なのか、という議論の世界がまっているはずである。

常識的に考えて、写本・版本の漢字・仮名を、現在の通行の漢字・仮名におきかえる仕事、といってしまえば、それまでであるが、この時、考えなければならないいくつかの問題点がある。

漢字は、現在の通行字体(常用漢字体)にするのか、それとも、いわゆる正字体(旧字体)にするのか、という問題がある。これは、単純に置き換えることのできな場合がある。

それから、変体仮名の問題がある。全面的に変体仮名が縦横につかわれている近世以前の版本・写本を、現在の通行の仮名字体になおす、これはいいだろう。

ところが、明治以降、近代になってから、活字印刷がはじまってから、変体仮名活字というものが、使用されている。これを、どのように、翻刻するべきなのか。これから、議論しなければならない論点になってきている。

近代になって、特に、戦後、仮名は非常に整理された状態になっている。変体仮名を使おうと思っても、その活字、また、フォントが無い、という状態であった。それが、今般、変体仮名のユニコード提案という事態になって、変体仮名を翻刻につかえる可能性が出てきた。

では、明治時代ぐらいの書籍などで、変体仮名活字がつかわれている場合、そのまま変体仮名で表記するのか、それとも、現在の通行の仮名字体にするのか、新たな判断が求められるようになってくるだろう。

現在でも、古典籍の翻刻などにおいて、「ハ」「見」は、「は」「み」にせずに、漢字の字体を使用するというような慣習がある。(詳しく調べたわけではないが、これは、私の学生のころから、ひろくひろまってきた慣用的な方法のように理解している。)

そして、このような翻刻の方針について、異論を述べる人も現在でもいる。

翻刻における漢字字体の問題、仮名の問題(変体仮名)、このような問題に、すぐに正解があるということではないであろう。あつかう文献の種類や、その翻刻の利用目的に応じて、様々な方式があるとすべきである。だが、これから、本格的に、近代の活字資料の翻刻、デジタルテキスト化ということをむかえて、このことについて、改めて議論を重ねていく必要があるにちがいない。

『吉本隆明 江藤淳 全対話』吉本隆明・江藤淳2017-03-13

2017-03-13 當山日出夫

吉本隆明・江藤淳.『吉本隆明 江藤淳 全対話』(中公文庫).中央公論新社.2017 (中央公論新社.2011 増補、改題)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/02/206367.html

この本は、2011年に、中央公論新社から、『文学と非文学の倫理』のタイトルで刊行。それに、吉本隆明インタビュー「江藤さんについて」、解説対談、内田樹・高橋源一郎を加えて、文庫化したもの。

「文学と思想」 1965
「文学と思想の原点」 1970
「勝海舟をめぐって」 1970
「現代文学の倫理」 1982
「文学と非文学の倫理」 1988

この本を読むまで、江藤淳と吉本隆明が、こんなにも多くの対談を重ねていることを、不明にも知らなかった。保守と左翼というイメージのある二人であるが、対談を読んでみると、非常にすんなりとお互いに意思疎通できているようである。

読んでの印象なのであるが、吉本隆明は「詩人」なのである、ということを強く感じた。吉本隆明は、詩人である。そして、江藤淳は、評論家である。

たとえば、次のような箇所。

(江藤)ただ、吉本さんがそういうものに対して批判をもっておられるのはわかるが、吉本さんの資質のなかにも、非常に詩人的・達人的なものがあると思います。それが小林秀雄に似ているか、中原中也に似ているかわからないが、とにかく吉本さんのなかで詩的絶対性のようなものを求める気持は、とても強いと思うのです。吉本さんの詩には、これがとても美しい形で出てくる。
(p.24)

このようなところを読むと、私も深く同意するところである。吉本隆明は、本質的に詩人なのである。今、世間一般の見方としては、評論家、あるいは、思想家というように考えるかもしれない。だが、吉本隆明が、本質的に詩人であると思ってみるならば、「共同幻想論」も、「大衆の原象」も、それなりに、納得できると思う。詩的直感を、詩としてではなく、評論のような形で表現しているから、ある読者にとっては、きわめて難解で読みにくいものになる。

このような意味で、つまり、詩人として吉本隆明が何を語っているか、読みながら付箋をつけた箇所としては、

(吉本)たとえば大江さんなんか、ちょっと『ヒロシマ・ノート』などを見ると、僕は文学者失格であるというようなことを考えます。思想家失格などとは、別に専門でないから、言わないわけですが。
(p.41)

上記の二つの引用は、「文学と思想」、1966年に『文芸』に掲載。対談は、その前年、1965年。

ここの引用した、1960年代の雰囲気として、文学者、詩人と、思想家、あるいは、評論家は、それぞれに、違った分野の人間として意識されていたことが読み取れよう。それが、現在、21世紀の今だと、これらの違いがあまり強く意識されることはないようである。

解説の対談に登場している内田樹などは、以前は、評論家、あるいは、フランス現代思想研究者、と呼ばれていたと思うが、最近の本では、思想家となっていたりする。私は、内田樹の書いていることに同意することもあるし、しないこともあるが、しかし、思想家だとは思っていない。

これが、吉本隆明、江藤淳の時代だと、文学者、評論家、詩人というのが、それぞれに独立した立場をたもっている。この時代の変化というのは、ある意味で、重要なことかもしれない。現代において、文学が何を語りうるのか、ということの問題にかかわってくるからである。また、現代における詩人的直感は何を洞察するのであろうか。さらには、現代において、批評とは何であろうか。

ともあれ、この本で、私は、ひさしぶりに、江藤淳の書いたものを目にした。今から、十数年間のあるとき、江藤淳の随筆を読みかけていた。そして、その訃報に接した。その時以来、読みかけの随筆に栞をはさんだまま閉じてしまった。その後、江藤淳の書いたものを読むことは、意図的に避けてきたように思う。

それほど、江藤淳の死は、私にとって衝撃的な事件であった。思い起こせば、高校生のころから、『夏目漱石』などを読んでいた。また、吉本隆明は、大学生になってから、とにかく読んだものである。今、その全集(晶文社)が出ているので、順番に買ってある。

このあたり、再度、江藤淳の書いたもの、吉本隆明の著作など、再読してみたいと思うようになってきた。確かに、戦後日本の文学の世界のなかでは、ともに屹立した仕事を残したと思う。それよりも、昔、若いときに読んだ本を、再度読んで味わってみたい、そのような気がしているのである。

その意味で、この『吉本隆明 江藤淳 全対話』は、手軽に読める文庫本として、それぞれの、詩人としての、評論家としての、資質をたどることのできる恰好の本である。

『おんな城主直虎』あれこれ「走れ竜宮小僧」2017-03-14

2017-03-14 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年3月12日、第10回「走れ竜宮小僧」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story10/

前回は、
やまもも書斎記 2017年3月7日
『おんな城主直虎』あれこれ「桶狭間に死す」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/07/8395053

う~ん、ここで「つづく」になるのか、という終わり方だった。次回はどうなるのだろう。

今回、ネコが再登場。籠のなかにはいっておとなしくしていたし、また、和尚にも抱かれていた。

今回の見せ場としては、主に二つ、あるいは、三つか。

第一に、鶴と亀の場面。やはり、小さいころからの幼なじみの二人であるというところを感じさせる描写であった。

第二に、次郎法師と寿桂尼との対面シーン。寿桂尼との話しの場面、貫禄において、次郎法師は負けていなかったと思う。

第三に、最後の瀬名との対面のところから、ラストにかけて。

といったあたりか。

ところで、出産のところで、夫(亀)が、弓の弦をならしていた。これは、魔除けのまじない。安産祈願ということなのであるが、これは、説明のナレーションでもあった方がいいのではないかと思った。でないと、いったい何故、妻の出産の場面で弓をもっているのか、分からなかった人もいるかもしれない。

さらに考えれば、鶴が、寺に逃げ込んで次郎のもとで助けられるのだが、これは、寺がアジールとして機能したということ……でも、ないようである。中世の寺院なら、なにがしかアジール的機能があったと思うので、とりあえず寺に逃げ込むということはあり得るのかとも思うが、このあたり、歴史考証の面でどうなのだろうと思ったりした。

さて、次回も、ネコは出てくるだろうか。和尚の出てくる限りは、登場させてほしいものである。

追記 2017-03-21
このつづきは、
やまもも書斎記 2017-03-21
『おんな城主直虎』あれこれ「さらば愛しき人よ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/21/8412696

『天子蒙塵』(第二巻)浅田次郎2017-03-15

2017-03-15 當山日出夫

浅田次郎.『天子蒙塵』(第二巻).講談社.2016
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062203708

やまもも書斎記 2017年1月4日
『天子蒙塵』(第一巻)浅田次郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/04/8302238

第一巻と二巻と、同時に買ったのだが、二巻の方が、読むのがおそくなってしまった。しばらく積んであった。

この本、第一巻の続きと思って読むと、面食らう。この第二巻は、これはこれで、独立した一つの物語をなしていると思って読んだ方がいい。第一巻は、清朝の最後の皇帝・溥儀の側室の「かたり」でなりたっていた。しかし、この第二巻になると、もう登場しない。第二巻は、満州国をめぐっての物語になっている。

満州国……この本では「満洲」の用字がつかってある……張作霖の死から、満州事変、そして、満州国の成立、このプロセスは、日本近代史のなかで、ことに注目すべきところだろう。結局、日中戦争になり、さらには、太平洋戦争へと発展していく、そのとっかかりのできごとである。

この本、物語において、著者(浅田次郎)の採用した方式は、群像劇である。溥儀をはじめとして、永田鉄山のような実在の人物、さらには、劉文秀のような架空の人物をとりまぜて、あまたの人物の視点から、張作霖の死から満州国建国までのあたりを、大河ドラマのように描こうとしている。

そして、これが成功したかどうかになると……私の評価としては、微妙だなというところ。そのように感じるの次の二点に整理できようか。

第一には、近現代史のこのあたりのことになると、文学作品としての小説よりも、歴史的事実そのものの方が面白い。あるいは、興味深く叙述することができる。

たとえば、
やまもも書斎記 2017年3月10日
『とめられなかった戦争』加藤陽子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/10/8398878

のような本の方が、面白い。重厚な歴史書というわけではないが、日本が、日中戦争へと突き進んでいく歴史を、非常に簡潔でわかりやすく、また、興味深いものとして、叙述してある。

「事実は小説より奇なり」というが、どうも、近現代史、満州事変あたりのことになると、事実そのものの方が、面白いと言ってもよいように思える。(無論、どのような歴史観で、どのように叙述するかということもあるのだが。)

第二には、浅田次郎は、その経歴、自衛隊体験の故であろうか、軍隊を描くとき、下士官、兵卒の視点にたって描くことは、きわめてうまい。

たとえば、
やまもも書斎記 2017年3月8日
『帰郷』浅田次郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/08/8396413

しかし、士官、司令官、あるいは、為政者という立場の人間、そのエトスを描くには、適していないと思われる。これも、時代がさかのぼって、このシリーズの最初『蒼穹の昴』のような時代になれば、想像力の世界でどのようにでもなる。

だが、近現代の歴史、まだ、その記憶がのこっている時代について、為政者の視点で、小説として語るには、その資質が向いていないと思わざるをえない。軍閥、馬賊ぐらいなら、浅田次郎の本来の面目である語りで表すことができるかもしれないが、正規の軍隊の士官・指揮官、政治家となると、逆に作用する。むしろ、その人物を矮小化してしまいかねない。

以上の二点が、この作品について思ったところである。

さらに付け加えるならば、中国と日本の近現代史を群像劇で描くというこころみは、それなりに評価されていいことだと思う。えてして、日本の悪行だけを描くことになったり、中国が純粋無垢な善であるかのごとき、一般的な歴史書にくらべれば、総合的に、いろんな立場から歴史の出来事を見てみようということは、これはこれとして、非常に価値あることだと思う。だが、それが、成功しているかどうかは、また、別問題とすべきだろう。

この作品、まだ、第三巻以降につづく。その流れのなかで、再度、読み直してみれば、感じ方も変わってくるかもしれない。

追記 2018-06-28
この続きは、
やまもも書斎記 2018年6月28日
『天子蒙塵』(第三巻)浅田次郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/06/28/8904909

『天子蒙塵』(第二巻)浅田次郎(その二)2017-03-16

2017-03-16 當山日出夫

つづきである。

浅田次郎.『天子蒙塵』(第二巻).講談社.2016
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062203708

やまもも書斎記 2017年3月15日
『天子蒙塵』(第二巻)浅田次郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/15/8406288

この本を読みながら、おもわず付箋をつけた箇所。

「軍隊は戦争の記憶を喪った。」(p.79)

として、満州事変のころの日本の軍隊のことが書いてある。つづけて、

「幼年学校にも士官学校にも、政治学や社会学の科目はただの一時間もなく、さらには選抜された陸軍大学校卒業者の支配する軍隊に、良識など期待するべくもない。」(p.79)

これは、陸軍の中尉のことばとして出てくる。

なぜ、この箇所に付箋をつけたのか、それは、加藤陽子の本のことが念頭にあったからである。

やまもも書斎記 2017年3月10日
『とめられなかった戦争』加藤陽子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/10/8398878

ここで、当時、四十歳代ぐらいの人間……社会の中核をになっている……は、なにがしか日露戦争の記憶をもっている人達であった。そのことが、満州事変から戦争の拡大につながっていく要因のひとつに考えるべきである、という意味のことがあった。佐官、将官クラスになれば、これはあたっていると思う。

だが、尉官クラスになれば、それより若い。士官学校を出たばかりの若手軍人が、逆に、日露戦争の記憶をもっていなかったということも、いえるだろうと思われる。

ここは、歴史の時代の流れのなかにおいて、日露戦争の戦争の記憶を継承している世代がどのようであって、逆に、それを持たない世代がどのようであるのか、歴史学の方面からの、検証が必要なことである。小説家・浅田次郎の小説において、若い中尉の意識を描いた部分と、歴史家・加藤陽子が、その著書で述べていることは矛盾することではない。どちらの方面に重きをおいて考えて見るか、その立場の違いである。

日本近代史を考えるとき、起こった出来事を年代順にならべるだけではなく、どのような生いたちを経てきた人間が、その時代をどうになって、かかわってきたのか、総合的に考える視点が重用であると思う。

歴史家の文学的想像力と、文学者の歴史観と、どちらがよいというものではなく、両者を総合してとらえるところにしか、過去を顧みて、未来を展望する道はないだろう。また、このように総合的に過去をふりかえる視点のもとに、現在の私たちのものっている歴史観、世界観が、どのような歴史的経緯をふまえたものであるのか、自覚的になる必要もあると思うのである。

戦争の記憶をどのようにとどめていくのか、あるいは、今の自分たちはどのような戦争の記憶をもっているのか……このようなことに自覚的である必要がある。このような視点から、浅田次郎の『帰郷』とか、加藤陽子の『とめられなかった戦争』は、読むにたえる価値のある本だと思う。

やまもも書斎記 2017年3月8日
『帰郷』浅田次郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/08/8396413

このような意味において、文学と歴史は連続するところがあると、私は理解している。

『隠蔽捜査』今野敏2017-03-17

2017-03-17 當山日出夫

今野敏.『隠蔽捜査』(新潮文庫).新潮社.2008 (新潮社.2005)
http://www.shinchosha.co.jp/book/132153/

警察小説、それも日本のものを読んでおきたくなった。これまで、なぜか手にすることがなかったのであるが(佐々木譲などは読んでいたが)、文庫本で読んでおくことにした。

調べてみると、このシリーズだけの特設HPができている。

http://www.shinchosha.co.jp/topics/police/konno_bin.html

順次、このシリーズを読んで思ったことなど書いてみたいとおもっているが、まずは、第一冊目から。これは、吉川英治文学新人賞の受賞作でもある。

解説にも書いてあるが……なるほど、こういう手がまだのこっていたのかというのが、正直な感想。こんな主人公をよく思いついたものである。

読み始めて、この作品の主人公(竜崎)ぐらい、いやな人物はいない。なにせ、東大出の警察官僚(キャリア)。東大出身者にあらずんば、人にあらず……どうどうと言ってのける。

なんでこんないやなやつと付き合わねばならんのだと思って読んでいくのだが、途中から、この偏屈というか朴念仁というか、この一風変わった主人公に、なんとなく感情移入していってしまう。

キャリアだから、捜査の現場に出ることはない。警察庁で、広報を担当しているという立場。なぞの連続殺人事件。警察官僚ならではの知識で犯人のめぼしをつけるのだが、それにどう対応するか、警察庁(カイシャ)としては、悩むことになる。いや、彼は、彼なりの自分の警察官僚としての正義を貫く。

このミステリの特徴は、

第一に、警察庁のキャリアとして、直接、捜査の現場に出ることはないのだが、全体として、警察小説として、犯罪とその捜査を描くことに成功している。この絶妙の距離感が、実に巧い。

第二に、警察小説の基本にあるのは、警察官としての正義である。何が、警察官の正義なのか。これが、現場の警察官(刑事)であれば、比較的わかりやすく描くことができる。市民感覚でわかるものである。しかし、キャリアのいだく、警察の正義とは何であるのか、これは、市民感覚ではわからないとことがある。それを、この小説は、説得力ある叙述で描ききってみせている。

以上、二点をあげることができるだろうか。

この「隠蔽捜査」シリーズ、第二作『果断』で、日本推理作家協会賞を受賞している。楽しみに読むことにしよう。まあ、実際に、こんなキャリアががいるかどうかという詮索は無駄、野暮というものである。

追記 2017-03-23
この続編については、
やまもも書斎記 2017-03-23
『果断 隠蔽捜査2』今野敏
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/23/8416674

本を読む時間2017-03-18

2017-03-18 當山日出夫

学生のころの思いでである。ふと思い出したこと、今でも憶えていることを書いてみたい。

ある先生……イギリスの経済史、社会思想史が専門だったと憶えている……のことである。

教養の学生のとき(日吉で一年のとき)、イギリスの政治社会思想の講義に出た。そこで、ホッブズとか、ロックのことを学んだのであった。が、それよりも、先生が講義の雑談のなかで、こんなことを言っていた。

大学の教養課程の授業の意義についてである。どんな話しであったか、おぼろにしか記憶していないが、今でいうリベラル・アーツとしての基礎教養の重要性ということを、話していたように憶えている。そのとき、イギリスのことを勉強するのには、英語が必要になる。だが、英語を勉強したければ、その専門学校に行けばいいのである。大学の講義は、そのためにあるのではない。このことは、はっきりと憶えている。

今はどうだろうか。大学の英語の授業は、実学の方向を向いている。TOEIC何点というのが、具体的な目標にかかげられたりしている。

大学によっては、英語を担当する教員のHPでの紹介に、TOEICで何点をもっているとか、書いてあったりする。こんなのを見ると、私は、心底うんざりとするのだが。

それから、その先生が、学内のある雑誌だっただろうかに書いていたことがある。次のような内容である。

留学していたとき(たしかイギリスだったと思うが)、そこで、ある本を読んでいた。その学問分野の基礎資料というべき本である。そのとき、現地、留学先の研究者の言うのには、そんな本は日本にでもあるだろう。どうして、ここで読んでいるのか。それに対して、その先生は、こうこたえた。もちろん、日本にもその本はある。しかし、ここ(留学先)にあって、日本にはないものがある。それは、本を読む時間である、と。

このエピソード、何故か、印象深く憶えている。私の学生のころであるから、今よりはるかに大学というところはのんびりしていたものである。

だいたい、新学期になって、最初から授業する先生など、ほとんどいなかった。休講が当たり前だった。それが、今では、毎回90分、15回、それに、試験をしないといけなくなっている。

そのような時代にあっても、研究者として、本を読む時間を大切にするということは、あったのである。その時代なりに、大学の仕事や講義などもあったのだろう。今よりはのんびりしていたかもしれないが、それでも、雑用におわれて本を読む時間がない、という気分があったのかもしれない。

本を読むのに、なにがしかのお金は必要になるだろう。それから、ある程度の、安定した社会的地位というものも、必要かもしれない。だが、それらがあるとして、一番肝心なのは、本を読む時間である、という感覚は、私は、学問の基本として大事にしたいと思う。いや、この年齢になって、そのような必要性を、痛感するようになってきた、ということである。

実際にどの程度、本を読む時間を確保できるかは、人のおかれた境遇によってちがう。しかし、それが、何よりも貴重なものであるという感覚だけは、持っておきたいものである。

このようなことを思い出す、考えるというようになったのは、それなりに、私も年をとってきたことなのかとも、思ったりしている。

『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫2017-03-19

2017-03-19 當山日出夫

三島由紀夫.『春の雪ー豊饒の海 第一巻ー』(新潮文庫).新潮社.1977(2002.改版) (新潮社.1969)
http://www.shinchosha.co.jp/book/105021/

やまもも書斎記 2017年3月9日
『豊饒の海』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/09/8397497

『豊饒の海』四巻を、ようやく読み終わった。40年ぶりの再読である。書誌を書いてみて、私が学生のころ、この本を読んだのは、文庫版が出てまもなくのときだったと気付いた。単行本ではなく、文庫本で読んだのを憶えている。

学生のときに読んで、正直いって、これで三島由紀夫はもういい、と思った。食傷したという印象をもったのを憶えている。それほど、濃厚な読後感のある作品であった。

今では、この作品、『豊饒の海』が三島の絶筆となった作品であることを知っている。最後の『天人五衰』の原稿を残して、三島は市ヶ谷にむかった。

私にとって、三島の事件は、決して過去のことではない。記憶にある。しかし、そのころは、まだ三島の読者ではなかったので、現実におこったリアルな事件というのでもない。そのちょうど中間の微妙なところに位置する。

市ヶ谷での事件があったとき、私は、中学生であった。学校の授業、あるいは、ホームルームの時間だったか、先生(担任)が、三島の事件のことを、熱っぽく語っていたのを記憶している。

私が三島由紀夫を読み始めたのは、高校生になってからである。大学生になってから、三島の作品は、好みということではなかったが、現代文学を代表する作品として、そのいくつかを、文庫本で買って読んだものである。

さて、順番に読んでいくとして、『春の雪』である。再読しての読後感を整理すれば、次の三点になるだろうか。

第一に、上述したように、この長編をもって、三島は最期を迎えている。この長編小説を書いているとき、いつごろから、その最期の行動の決意を固めることになったのか。近現代文学研究に疎い私は知らないのであるが、少なくとも、この『豊饒の海』の連作を書いている途上において、三島は、その決心を固めていったことは、確かであろう。

三島の最期、それが、今回、『豊饒の海』を再読するにあたって、念頭にあったことである。現在の時点からは、三島の最期は、近現代の文学史のなかの一コマとして、位置づけられる……その解釈は別にしても、その事件があったことは当然の事実としてうけとることになる。そして、それをふまえずには、この作品を読むことは、もはやできない。

第二に、これは、私個人の好みによるのだろうが、『春の雪』は、甘美な恋愛小説として憶えている。再読してみてであるが、やはり、その読後感は、基本的に変わらなかった。

日本の近代文学は、「恋愛」をテーマとするものが少なくない。漱石の作品など、『三四郎』にしても『こころ』にしても、「恋愛」が重要な主題であることは、いうまでもないだろう。

だが、その「恋愛」を、ここまで魅力的に描き出した作品は希ではないだろうか。『春の雪』は、日本近現代文学における、傑出した恋愛小説であるといってよい。

それは、大正時代初期という時代設定、華族という設定、の故でもあろう。言い換えるならば、日本のことでありながら、市民的リアリズムからはなれて、どこか別世界のことのように、読むことができる。

第三に、最初読んだときに印象深く憶えているのが、冒頭近くにある、髑髏と清水の例え話。人間が、「事実」だと思っていることは、結局は、その「意識」の作り出した幻影にすぎないのだろうか。

この『豊饒の海』は、「唯識」の文学でもある。近代の仏教文学というジャンルを設定することが妥当かどうかは別にして、もし、そのようなジャンルをたてて見るならば、『豊饒の海』は、かならずやそのなかで重要な位置をしめる作品になるにちがいない。

そして、この「唯識」ということが、最後の『天人五衰』のラストのシーンへとつながっていくことになる。

以上の三点が、40年ぶりに、『豊饒の海』を再読してみて、感じたこと、再確認したことである。

春休み、花粉症のシーズンなので、どこに出かける気もしない。家にいて、自分の部屋で本を読んですごす。その本として、『豊饒の海』を選択してみたことは、よかったと思っている。もし、機会をつくることがかなうなら、再度、読み直してみたい作品である。

追記 2017-03-20
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年3月20日
『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/20/8411334

『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫(その二)2017-03-20

2017-03-20 當山日出夫

三島由紀夫.『春の雪ー豊饒の海 第一巻ー』(新潮文庫).新潮社.1977(2002.改版) (新潮社.1969)
http://www.shinchosha.co.jp/book/105021/

つづきである。

やまもも書斎記 2017年3月19日
『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/19/8410111

私が、ひさしぶりにこの作品を読んで、読み始めてまず思い浮かんだのは、明治宮廷のことである。

やまもも書斎記 2016年5月29日
米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

『春の雪』の主人公、清顕は、明治宮廷において、お裾持ちの役目を、少年のときにしたとある。学習院から、しかるべき華族の子弟がえらばれて、その役目をはたす。そのことについては、米窪明美の本に詳しい。

このあたりの描写は、学習院出身の、三島由紀夫、いや、平岡公威として、学習院に学んだことが反映してのことであることは、想像できる。

それにしても、大正時代初期の華族社会を実に見事に描いている作品である。実際は、このようなものではなかったのかもしれないが、しかし、小説としては、見事である。さもありなん、という叙述になっている。

『春の雪』には、ほとんど、市民、庶民といった人物が登場しない。例えば、書生の飯沼など、出てはくる。そして、その後の『奔馬』では重要な位置をしめるのだが、『春の雪』の世界では、脇役でしかない。

主な登場人物は、主人公の清顕、その父親、その友人の本多、そして、恋の相手である、聡子。それから、シャムからきた王子たち。みな、貴顕の人びとばかりである。

そして、これは、作者(三島由紀夫)にとってはある意味で過去のできごとでもある。三島は、1925(大正14)年の生まれ。大正時代の初期のことは、知っているはずがない。だが、だからこそというべきか、自分の実体験していない世界のことだからこそ、華麗な装飾過多とでもいうべき文体で、その華族社会のひとびとの生活とその感覚を、鮮やかに描き出すことに成功している。

しかし、それにしても、この作品における三島の文章は、なんと過剰な虚飾に満ちたものかと思わないでもない。

読みながら付箋を付けてみた箇所、

執事が馬車の用意の調ったことを告げた。馬は冬の夕空へ嘶きを立て、白い鼻息を吐いた。冬は馬び匂いも希薄で、凍った地面を蹴立てる蹄鉄の音が著く、清顯はこの季節び馬にいかにも厳しくたわめられている力を喜んだ。若葉のなかを疾駆する馬はなまなましい獣になるけれど、吹雪を駆け抜ける馬は雪と等しくなり、北風が馬の形を、渦巻く冬の息吹そのものに変えてしまうのだ。
(pp.83-84)

このような文章が、延々とつづく。読んでいて、ちょっといやになる……そんな気がしなくもない。だが、このような文章だからこそ、虚栄、虚飾とでもいうべき、大正時代初期の華族社会の人びとの有様を、あからさまに描き出すことができている。著者は、その虚飾の面をあばきだそうというような意図はなかったのかもしれないが、今の目で読んでみると、虚栄を虚飾の修辞で描き出したと、読める。

それから、次のような箇所は、三島の最後の事件を知って読むと、なかなか興味深い。

百年、二百年、あるいは三百年後に、急に歴史は、〈俺とは全く関係なく〉、正に俺の夢、理想、意思どおりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとおりの形をとるかもしれない。俺の目が美しいと思うかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、俺の意思を嘲るかのように。
(p.126) 〈 〉内、原文傍点

このような文章を書いたとき、三島は、自分が最期におこすことになる事件を、予見していたのだろうか。

追記 2017-03-22
このつづきは、
やまもも書斎記 2017-03-22
『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/22/8415222