幻想の康煕字典体2008-11-12

2008/11/12 當山日出夫

小形さんのブログで、さっそく速報されていた。もじのなまえ。

(新)常用漢字表の審議で、表外漢字の字体を採用か、という方向がしめされたよし。

http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20081111/p1

これはこれでいいだろう、とは思う。一つの立場である。

私見を述べれば、なぜ、『康煕字典』であるのか? ということ。さらに言えば、どの『康煕字典』であるのか? ということ。

このあたりをきちんとふまえないで、ただ『康煕字典』が一人歩きしてしまうのは、問題があるという気がする。どういえばいだろうか、古めかしい表現になるが、共同幻想としての康煕字典体、とでもなるだろうか。

現実問題としては、現在の、規格「0213:04」をいじらなくてすむ。所詮、固有名詞をはずしてある現行の「常用漢字表」あるいは「(新)常用漢字表」(案)では、固有名詞(人名・地名)を含む、通常の日本語表記におて、字体の整合性で、問題が生じることは確か。ではどうすべきかというと、こまるのだが。

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:やはり玉突き現象がおきるかな2008-11-12

2008/11/12 當山日出夫

安岡さんの日記で、「痩」「瘦」について、書いてある。

はっきりと、正直に言って、今、私が、この文章を書いているディスプレイでは、どこかどうちがうのか、わからない。わかるだけ、フォントサイズを大きくしなければ、議論できないテーマというのも、ある意味で現実離れしているのではないかと思える。

すでに、二焦点の眼鏡を必要とする私の視力では、印刷文字では、8ポでは、判別不可能。ぎりぎり、9ポで、眼鏡をはずして見て、わかるかどうかというところ。

実用レベル(実装フォント)では、どっちでもいいような気がしないでもない。その区別を確認するために、いちいち眼鏡をはずさなければならなとなると、もう、どうでもいい(あくまでも、私個人で識別可能かという観点から、独断である。)

それにしても、追加字体を、拡張新字体(康煕字典体)でとどめるならいいが、変更するとなると、まず、表外漢字を変更しなければならなくなる。そうなると、JIS規格も。ここは、7月の「WS:文字」で、小形さんが指摘していた、玉突き現象が、まず、国内問題として発生する。

あらためて述べたいが、「もじのなまえ」で紹介の委員の意見など見ると、「安定」という表現が出てくる。「安定」ということについて、「社会的に一般的である」ということと、「規格でそうきめる」ということ、これらは、違うと思うが、いかがであろうか。

先のメッセージで、幻想の康煕字典体、と言った。ここは、幻想は幻想のまま、つまり、ある種の曖昧性をもたせた方が、社会的に安定して運用できる、という発想はダメなのだろうか。

あるいは、すでに、パンドラのはこをあけてしまった……

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:新聞社も当事者2008-11-13

2008/11/13 當山日出夫

おがたさんの「もじのなまえ」で、先日の、委員会の様子が報告されている。

http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20081111/p1

これを見て、また、コメントを読んで思ったこと。

実は、(新)常用漢字表は、新聞社も、その当事者なのである、ということ。いわれてみれば、あたりまえ。委員会のメンバーを見ればすぐわかること。

だが、これを、報道という視点からみると、当事者であるが故の、バイアスがかかっていることになる。簡単にいえば、「自分に都合の悪いことは書かない。」

今、『朝日新聞』がどんな字をつかっているか。印刷標準字体に準拠である。ただし、「辻」は例外。また、固有名詞(地名)では、葛城市の「葛」(ヒ)と、一般の「葛」(人)、例えば、「葛藤」など、では、字体をつかいわけている。いや、それ以前に、「葛城市」と「葛城山」では、字を変えている。

こんな新聞紙面を作っていて、何が「正しい字であるか」など、新聞社にとっては、ヤブヘビ以外のなにものでもないかもしれない。拡張新字体ですか、康煕字典体ですか、これは、そっとしておきたいことだろう。

ま、ともあれ、次のことは確認しておかねばならない。

(新)常用漢字表について、新聞社も当事者である。ゆえに、客観報道など、期待できない。何を、新聞が報道しないか、が重要な論点をふくむ可能性がある。この意味で、おがたさんの「もじのなまえ」は、常に参照する価値がある、と賞賛しておきたい。

委員会は、公開であるといっても、すべての情報が、すぐに、開示されるというわけではない。参加できる人間にも、限りがある。また、議事録が、公開されるのは、かなり時間が経過してから、である。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記 2008/11/13

葛木山→葛城山 に訂正。

新常用漢字:いわゆる康煕字典体2008-11-13

2008/11/13 當山日出夫

小熊さん、コメントありがとうございます。

やはり、「いわゆる」+「康煕字典体」という、表現にならざるをえませんね。

「国字」などの字体は、部分字体を、「いわゆる康煕字典体」に準拠して、という方向でしか、考えようがありません。

ただ、この「いわゆる康煕字典体」を、厳格な規範としてうけとめるか、あるいは、康煕字典体といっても、字体の「ゆれ」はあるのだから、あえて曖昧なままにして、使用するのか。

このあたりの、社会全体のうけとめかたが、今後の課題かと思っています。

當山日出夫(とうやまひでお)

公文書アーカイブズ2008-11-13

2008/11/13 當山日出夫

先ほど、NHKのニュースをみていた。トップは、定額給付金。その中で、ある市長(か、あるいは職員の人)が、かつての地域振興券のときのことを、倉庫から資料を出してきて調べないと、と言っていた。

かつての地域振興券の時、どうであったか、それを知ることができるかどうかは、各自治体における、公文書アーカイブズの問題である。私の住んでいる、ところでは、どうなっているか知らない。

年月や、その政策の意味を考えると、非現用文書だろう。となれば、なにがしかの文書が、アーカイブズされていなければならない。はたして、各地方自治体において、書類が残されているか、また、それが、今回の、定額給付金への対応として、役にたつか。

年金記録問題から、公文書アーカイブズ、アーキビストの公的資格制度へと動いてきたが、思わぬところから、国、および、地方自治体における、公文書アーカイブズのあり方が、問われることになった、と考えている。

當山日出夫(とうやまひでお)

天皇陛下の見識2008-11-13

2008/11/13 當山日出夫

一応、私も、塾員(慶應義塾大学出身)である。したがって、今般の、150周年記念式典について無関心というわけではない。とはいえ、もっぱら興味があるのは、来年の、東京国立博物館での展覧会の方。『グーテンベルグ聖書』が、見られる!!

ところで、『轟亭の小人閑居日記』に、式典における、今上陛下の「おことば」が、のっている。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2008/11/11/3905252

ここで、陛下は、近代日本の歴史を、慶應義塾とともに語っておいでである。そのなかに、つぎのようにある、

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日本は修好通商条約調印から三十一年にして、大日本帝国憲法を発布し、翌年には、第一回帝国議会を開くまでに近代国家としての制度を整えるに至っています。

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この間に、いわゆる1868年「明治維新」が入っていない。「開国」から近代日本のスタートを考えている。徳川幕府の瓦解も、明治天皇も、出てこない。このような歴史観というのは、やはり、今上陛下であるからこその発想かもしれない。

明治天皇の名を出さずに、日本の近代を語る。率直に、この発想と姿勢には、賞賛したい気持ちである。

當山日出夫(とうやまひでお)

学術書出版とDTP(2)2008-11-14

2008/11/14 當山日出夫

今、私の手元にある本。

『Wordで本をつくろう ヨコ組編』『Wordで本をつくろう タテ組編』の2冊。ともに、日本エディタースクール。2003年の刊行。

そして、裏表紙には、「この本も本文はWordで作成しました」とある。このなかには、ノンブル(頁番号)や、柱、なども含む。さらに、「2行取り中央」というような、出版印刷業界用語なども出てくるし、その設定法も解説してある。

これは、Word2003版である。したがって、今の2007版に、直接むすびつくというわけではない。(特に、うっかり、メイリオなど使ってしまうと、困る。)

この他にも、Wordで、組版までやってしまおう、という類の本は、いくつか出版されている。

やる気さえあれば、個人レベルで、組版までできてしまう。そして、今は、それを、フォント埋め込みPDFとして、出力できる。それを、出版社に送れば、本を作るコストの、幾分かは、安くできるだろう。

出版不況といわれる。編集・組版・印刷・製本、そして、出版社・書店、どれも景気がいいという話しはきかない。少部数の学術書出版、小規模になれば、実売部数が、200~300、ぐらい。買うのは、その分野の専門の研究者、でなければ、図書館や大学の研究室など。

万年筆と原稿用紙の時代。鉛の活字、あるいは、写植。まさに、活版印刷における「文選(ぶんせん)」があった時代。

パソコンで原稿を書く時代。プレーンなテキストファイルでわたせば、出版社の方で処理してくれる。

そして、今は、組版まで自分で作れる。

最終的に、本として、どうするか、編集や装丁など。これは、やはり、出版社の仕事。

このように考えると、原稿執筆から、本の完成まで、ワークフローが大きく変化してきたことがわかる。いや、少なくとも、変化の基盤は構築されている。この変化に対して、特に学術書の出版社、研究者(著者)、おいついていっていないのが、現状かもしれない。

いまだに、論文の執筆要項で、何字以内で、とか、400字詰原稿用紙で何枚以内で、とかある。このようにいわれても、直感的わからなくなってきている。電卓をとりだして、計算して、1行に何字で、1ページに何行、それで、何ページ、という数値を出さないと、分量の見当がつかない。

どうせ、ほとんどの人がワープロで原稿を書く時代、字数指定のついでに、A4用紙で、40字40行で何枚、とちょっとだけ書いておいてくれると、助かる。

出版の新しいワークフローが出来ているのに、なんとなく、対応がバラバラで、全体に、次のステージへと進めないでいるような印象を持つ。

當山日出夫(とうやまひでお)

活版を知る世代2008-11-14

2008/11/14 當山日出夫

おがたさん、コメント、恐縮です。

普通の人文学系の研究者のなかでは、私は、かなり「印刷」ということに興味・関心を持っている方だと思う。それで、文字のことをやっているのか、あるいは、若いときに、本を作る、という現場にたまたま立ち会ったせいなのか、たぶん、ニワトリとタマゴのような関係。

活版の印刷工場があって、文選・組版の現場に立ち会ったことがある、という経験がある(大学院のとき)。その後、数年を経ずして、活版が急激に姿を消し、写植(電算写植)に移行するのにも、たちあっている。また、自分で、版下原稿を、パソコン+レーザプリンタで作成して本にする、というものやっている。(自慢じゃないが、この分野では、草分け的な存在だと、多少の自負はある。『和漢朗詠集漢字索引』)。

また、活版印刷でも、日本では人件費的に無理。中国で、台湾で、という時代もあった。ある著名な出版社は、実は、その代理店の仕事をしていた、というのは、関係者に知られた話し。

パソコンが登場して、DTP(デスク・トップ・パブリッシング)という用語が使われるようになって、かなりの年月が経過している。しかし、実現しているかどうかとなると、本格的には、実は、これからかもしれない。

その一方で、すでに、電子ジャーナル・機関リポジトリなどが、話題になっている。

ついに、というべきか、情報処理学会が、完全に、ペーパーレスになる。紙の論文が無くなる。読みたければ、学会のHPから、PDFをダウンロードしてください(種類によって、無料・有料あれこれ)。

でも、PDFをプリントアウトして読むんだったら、ある意味で、ペーパーレスにはならない。余計なプリントアウトが増えるだけ。

また、問題は、図書館の蔵書検索には、対応しないこと。今、コンピュータやインターネットで検索されなければ、それは「存在しない」、に等しい時代。「存在しない」論文を、誰が書くんだろうか。

このような状況にあって、少部数の学術書出版、それから、図書館、の役割が問われることになる。

これは、本当の活版を知っている、おそらく最後の世代だから抱く感慨かもしれない。あ、それから、「ガリ版」もある。

余計なことかもしれないが、花園大学の「ミニミニ小説」のHPは、(小説の中身とは別に)、面白い。400字詰め原稿用紙のスキャン画像で載っている。

http://www.hanazono.ac.jp/info/20081020-365.html

応募方法を確認すると、形式は自由。ただし、電子メールでと、条件があるだけ。つまり、本人が原稿用紙をスキャンして、画像データ化して、添付した、ということだろう。

デジタルの時代になっても、原稿用紙は不滅である、かな。

當山日出夫(とうやまひでお)

勉誠出版のメールマガジン2008-11-14

2008/11/14 當山日出夫

勉誠出版が、PDF版でのメールマガジンを出し始めた。

第一号は、

http://www.bensey.co.jp/webpr/001.pdf

メールマガジンの登録は、

http://www.bensey.co.jp/mm.html

いろんな出版社が、それぞれ工夫を凝らしたメールマガジンを出している。個人的な感想を言えば、一番気にいっているのは、みすず書房。とにかく、シンプル、である。この会社の本の表紙のように。また、新刊案内だけではなく、在庫のある関連書籍を、適当に載せてあるのも良い。新刊・在庫のある本、これらが、多すぎると、ざっと読むどころか、完全に流してしまう。ほどほど分量が難しい。

で、勉誠出版のMMは、PDFで作ってある。MMには、それへのリンクが、記してある。必要だと思えば、ダウンロードして保存できる。

第一号についての感想を述べれば、掲載の文章と、書籍の紹介が、うまくレイアウトされている。基本は、種々のエッセイ。それに関連して、出版社の本が、邪魔にならないようにレイアウトしてある。あくまでも、読み物としての編集方針が、巧くいっている。

今回の号で、特に私が興味をもったのは、

鳥の博物誌(一) 小林祥治郎さん ※いまはあまり時間がとれないが、バードウォッチングが好きなので、鳥については、いくぶんの関心がある。

山田孝雄先生の思い出 吉田金彦さん ※「孝雄」は「よしお」と読みます。「たかお」ではありません。そのご子息が「忠雄」つまり山田忠雄先生で、私の「国語学」の先生です。

よくある例、あるお店の商品紹介のメールマガジン。長いけれど、最後まで、スクロールすると、「最後までお読みいただきありがとうございます」とあったりする。こんなこと書く暇があったら、読みたくなるようなメールマガジンを作れ、といいたくなる。

日本文学関係では、笠間書院・武蔵野書院・汲古書院、などの出版社が、冊子体の出版目録、兼、エッセイ集、といえるものを出している。勉誠出版のは、そのデジタル版として、価値がある。冊子体の本は、場所をとるし、整理が難しい。これなら、ハードディスクに、一つフォルダを作って、順次、保存していけばよい。

デジタル版と、紙の本と、うまく棲み分ける工夫をしなければ、共倒れにならないともかぎらない。今後の展開に期待したい。

當山日出夫(とうやまひでお)

読むこと、索引をつくること、デジタル化すること2008-11-15

2008/11/15 當山日出夫

勉誠出版メールマガジンから引用する。吉田金彦さんは、山田孝雄(どの敬称をつけるべきか迷ってしまう、やはり先生とすべきだろうか)、から、次のように聞いたと記している。

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「君、万葉集をよく読みなさい。万葉の語をしらべると万葉以前が分るよ。私は正宗の索引などなかったから、奈良期文法史は、一つ一つ歌をよみ返して書いたものだよ。索引がなかったから何べんも万葉集を読み返すことが出来た」と手の内をあかされていた。

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さて、今の時代、『万葉集』を学ぶ学生は、どうであろうか。文中、「正宗の索引」とあるのは、正宗敦夫の手になる万葉集索引。ただし、その本文(テキスト)が、江戸の版本というもの。もちろん、現代の、新しい万葉集には合致しない。(私の学生のころであれば、活字本として、塙書房版を使うのが通例であった。)

今、『万葉集』『源氏物語』『今昔物語集』、すべてデジタル化されている。『源氏物語』のデジタル化だけでも、いくつものバージョンがある。

現在において、デジタル化テキストから、どのような、新しい学知が生み出されるのだろうか。ふたたび、勉誠社メールマガジンの吉田金彦さんの文章にかえると、橋本進吉のいわゆる「上代特殊仮名遣い」について言及してある。

もし、橋本進吉が、『万葉集』について研究していたとき、すでにコンピュータがあったとしても、それが、即座に、「上代特殊仮名遣い」に結びつくことは無いであろう。やはり、ほとんど暗記するほどに、テキストを読み込まなければ、不可能であったと思う。ただ、デジタル化テキストは、その検証を、手早く確実にするのには、役立つ。

デジタルによる、新たな人文学知の展望を考えるとき、温故知新、むかしは、どんなふうに本を読んで研究していたのか、考えてみたい。

當山日出夫(とうやまひでお)